地震の影響

9月6日未明の地震の被害は甚大ですね。地震の前のGoogle Mapの写真と、テレビで映し出されている現在の状況を見ると、その違いに驚かされます。吉田地区は、牧歌的な感じで低山に沿って、家屋が並んでいましたが、その低山そのものが地震により流動化して牙を剥いた感じです。

地震の影響では、電気がないことが大きそうです。

全道的な停電は、じょじょに回復しつつありみたいですが、被災した発電所から直線距離で250キロ以上離れている中標津でも停電ということは、東京だと、名古屋が停電しているので、東京も停電した、というような感じに思えます。

送電網を分割するとか、被災地から遠いところの発電と電力消費をブロック化するというようなことはできないのかなあ、とか素人考えで思ったりしますが、状況は違うとは思いますが、10年前に中標津に滞在していたときに経験した、酪農地帯である道東でのバターのマーケットからの消滅というのを思い出しました。

北海道全体としての流通経路が確立されており、生産地だからといって、商品が消費者の手元に届かないというのを目の当たりにしましたが、それに何か似ているなあ、という話です。
風力発電やソーラー発電で発電していても、地域で利用できる体制を構築できていないというようなことです。

おそらく、札幌を中心とする道南エリアへの人口と産業の集中というアンバランスから、それ以外の地域への電力や流通経路等のインフラを構築することが経済的に見合わないというような話ではないかと想像してしまいます。真偽の程は分かりませんが。

それはともかく、中標津のFMハナの放送や、テレビで北海道の民放のアナウンサーが話しているのを聞いていると気になることがあります。それは、「新千歳空港」を「しんちとせくうこう」と発音せずに、「しんとせくうこう」と発音している人がわりといること。本人はきちんと「しんちとせ」と発音しているつもりかも知れませんが、でも「しんとせ」と聞こえてしまいます。ひょっとして道民は、秋葉原を「あきはばら」といわず「あきば」というようなのと同じ感覚で、「しんとせ」というのが普通なのかなあ、とか思ったりしています。

いずれにせよ、一日も早い完全復旧と、今後に備えた措置が早急にとられることを期待しています。


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# by voyage08 | 2018-09-07 10:15 | 中標津事情 | Comments(0)

本にしてみた。

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10年の区切りで、このブログを一冊の本にしてみました。320ページぐらいでカラー写真も満載です。
また10年後に印刷できるだけの内容が溜まっていればいいなあ。

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# by voyage08 | 2018-09-01 11:11 | Comments(0)

ブログ10年の総括

10年前にはじめたこのブログは、閲覧者は10年で未だ1万人にいたっておらず、平均すると1日2.5人程度ですが、一番読まれている記事は、2008年8月28日に投稿した「アキアジ釣り」という記事です。

アキアジ釣りの情報への需要の高さを感じさせてくれます。

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# by voyage08 | 2018-08-30 21:56 | Comments(0)

10年前の旅の終わり


10年前のことですが、8月も20日を過ぎて、家族が東京へ戻った後、中標津も随分秋めいて来て、朝夕は一気に寒くなったような記憶があります。僕も家族がいないと料理をしたりする張り合いがなくなってしまい、そこそこ仕事をしながら、割とゆったりと時間を過ごしました。

10年前のブログの記述を見返してみると、24日、25日、26日は基本的に仕事をしていたようです。

26日は、中標津の写真クラブEPCの会長の佐々木さんが若竹の住宅にたずねてきてくれました。佐々木さんとは、僕が10年前に中標津滞在を思い立った直後から、ブログで情報をいただき、メールのやりとりをしていただき、現実味のなかった中標津滞在が具体化するのを手伝っていただきました。佐々木さんとはその後もずっとお付き合いさせていただいています。

そういえば、滞在中もう一人の佐々木さん、作家の佐々木譲さんとメールのやりとりを2回か3回させていただきました。中標津と北見に仕事場があるようなお話でした。確か、ネット通信環境の話で連絡したように思います。

27日は、終日雨だったようで、お昼に丸福でラーメンを食べたと書いています。また、パンフレットの整理をしたことを書いていますが、そのとき整理した道東の観光先でもらったパンフレットのファイルが未だ手元にあります。

28日は、同じ若竹の別の宿舎に滞在していた白石さんという東京の高校の職員(当時)で夏の間道東で鮭釣りをやっている方と、九州から車で来られていたやはり若竹の宿舎に滞在していたご夫婦の4人で、別海の尾岱沼の港へ行き、アキアジ釣りにチャレンジしました。その日は、4人では、僕だけが釣れたかな。釣り始めて1時間後ぐらいに、小さいルアーを港の中に向けて飛ばしたらいきなりバグッと重みがかかり、70cmぐらいの雌が釣れました。自分では食べきれないので、養老牛の山本さんの所へ持って行きましたが、翌29日、山本さんがその鮭からとったいくらを持ってきてくれました。

その29日は、中標津へ行く前に確かミクシーで知り合いになった渡邊さんという女性と、一緒に、お寿司屋さんの渡邊に行きました。渡邊さんはその後何度かお会いしましたが、最後に会ったときは、酪農関係の仕事をしている方と結婚されていて、3人で一緒にホテル東洋グランデの中の居酒屋で食事をしたような記憶があります。その日は、初めて代行サービスを利用して帰宅しました。

30日土曜日は、先般尾岱沼に釣りに行った旧若竹小学校の教員住宅に滞在していた4人で僕が滞在していた家で焼き肉パーティーでした。翌日は早朝からハシリコタン漁港で釣りの予定でしたが、随分飲み過ぎてしまったように思います。

31日日曜日は、早朝、自力でハシリコタン漁港まで行き、上記の佐々木会長等との釣りにジョインしましたが、この日は全く釣れませんでした。記録によれば、この日は午後から仕事をしたことになっています。

9月1日も引き続き仕事でしたが、その夜は、養老牛の山本さんと中標津の居酒屋、確か、えくぼで呑んだように思います。居酒屋につけてあったテレビで、福田康夫総理が突然辞任したというニュースが飛び込んできました。その日は、山本さんの車で中標津まで行っていたので、代行を頼んで、若竹まで乗せてきてもらったような記憶があります。

9月2日は、午前中に家の引渡しの手続を済ませて、車で富良野に向かいました。往路娘とランチを食べた占冠の道の駅でこのときは一人でお昼にしましたが、やはり一人は寂しいものだなあ、と思った記憶があります。そのまま富良野の手前の北の国からの舞台「麓郷」へ行き、舞台となったいろいろな家を見ました。偶然そこで、元の職場の同僚と遭遇したことも記憶しています。その後、車で聞くためのCDがないか探して富良野の町をうろうろした記憶がありますが、駅前のホテルに泊まって、トリセイという焼き鳥屋さんでご飯にしました。トリセイは、その2年か3年後に、家族で富良野にスキーに行ったときに、家族で寄ったことがあります。あれから富良野には行ってないかな。

9月3日は、朝、北の国からの博物館を見た後美瑛をドライブして、また占冠でご飯を食べて、雨の中、苫小牧まで向かい、イオンで時間を潰した後、フェリーに乗り込みました。行きは娘と二人の船室でしたが、復路も似たような二人部屋で一人は、やはり寂しいなあ、とか思って、ぼーっとしていましたが、あまり寝られなかったなあ。

4日、仙台で下船して、東京までひたすら運転しました。途中何度か仕事の電話があったのを記憶しています。東北道から、いつものように新宿の前の家の駐車場まで、暑い中走ったことを記憶しています。

これで、30日間の中標津短期移住計画を無事終えることができました。多くの方々と出会い、その後の10年に続く旅でした。

僕と中標津との関係は、その後、この10年で、一層濃くなっています。上記の佐々木さんが主催している中標津を中心とした写真クラブEPCに参加させていただき、年に2回ぐらいは道東で撮影したり、皆さんと交流したりすることが中心ですが、時々妻と道東を旅したりしています。

また、本当に偶然ですが、中標津のお隣の別海町に、高校の同級生が住んでいたり、やはり高校の同級生で北大で歯科医をしている人が毎月中標津に出張診療していたりと、別の方面からのご縁があることも分かり、道東エリアとの親密度は強くなってきました。

今後も、さらなる10年に向けて関係を深めればと思っています。

今回の10年前の滞在を振り返ってのブログの更新は、とりあえず、これで終わりにします。今後は、また、何か機会がありましたら、ブログを更新してみたいと思います。


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# by voyage08 | 2018-08-24 14:18 | 中標津ライフ | Comments(0)

家族が中標津を発った日

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10年前の8月23日は、娘と妻が、中標津発の羽田便で、東京へ戻りました。

8月8日に中標津に到着して、8月14日までの7日間が娘と2人で、8月15日から23日までが9日間が家族3人(うち、6日間が元同居人と4人)、8月24日から9月2日までの10日間が僕一人の中標津での滞在でした。僕個人については、合計26日間になります。往路が2泊3日、復路も2泊3日なので、合計30日間の旅行でした。

この日は、午前中、荷物を整理して、町までやってきて、娘と妻が中標津空港から出発する前に、一緒に、丸福でラーメンを食べたように思います。

見送ってから、どうしたのか覚えていませんが、午後4時頃から、午後8時頃まで、道東観光等、7本の記事をこのブログに投稿しているので、見送った後、若竹の家に割と直ぐに帰って、ブログを書いていたようです。

その後、遅れていた仕事を一気にしたからでしょうか、25日に中標津の町へ行ってツタヤと花まる寿司、東武サウスヒルズ等に行った記録がありますが、それ以外の記録がありません。

その後は、仕事もしていたと思いますが、記録によれば、それから一週間、一人で、割とのんびりと中標津滞在を楽しみました。

写真は8月24日に撮ったものですが、若竹の住宅で自室にしていた部屋で使っていたパソコン。今はこのパソコンは使っていませんが、今でも持っています。それと、パソコンが乗っているテーブルは、中標津のホーマットで買ったものですが、今も我が家で使っています。

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# by voyage08 | 2018-08-23 15:13 | 中標津ライフ | Comments(0)

FMハナの開局の頃

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10年前の今頃は、家族だけで、若竹の宿泊先にいて、毎日、養老牛温泉のどれかのホテルの日帰り湯に行っていました。
もうなくなってしまった「藤や」、今もある「湯宿第一」、そして「ホテル養老牛」に交互に行っていましたが、調べてみたら8月20日には藤や、22日に湯宿第一に行ったことが記録されています。その後も中標津へ行くといずれかに必ず寄ります。最近は、時間の都合からホテル養老牛が多いかな。

10年前の8月20日は天気が悪くて、温泉に行った以外は、多分、買い物ぐらいしかしなかったと思いますが、21日は納沙布岬まで車で行きました。途中、風蓮湖の春国岱原生野鳥公園でタンチョウヅルのつがいを見ました。根室の町に入る手前で、「花まる寿司」の本店に入ってランチをして、根室の町をちらっとみて、納沙布岬まで行き、帰りに花咲港へ行き、近くで、根室車石を見たように思います。自衛隊の大きなレーダーサイトが印象的でした。この日21日は、確か、温泉用の道具を車に積んであって、夕方、ホテル養老牛の温泉に行ったと思います。

10年前の22日は、養老牛の山本牧場で家族で酪農体験をさせていただきました。午後行って、僕と娘はツナギを着て、牧場で牛を追いかけたり、乳搾りをさせていただいたりしました。そのとき呑ませていただいた朝しぼった牛乳の爽やかな味と朝露のようなすがすがしさは今でも覚えています。

順番は前後しますが、その日は、山本牧場に行く前に、お昼は、ちょっと遠出をして、写真の虹別のオーベルジュ、ヘーゼルクラウスマナーでランチをしました。ここは、3年ほど前、妻と2人で初めて泊まりましたが、大変居心地のいい、そして美味しいところでした。この写真の一番左側が、我が家が当時使っていたトヨタのカローラフィールダーという4WDでしたが、いろいろ探してみたもののこの写真がこの車が写っている唯一の写真のように思います。2年か3年のリースだったと思いますが、この旅行を最後にリースを解約しました。いろんなところへ行きました。

先日、開局10周年の番組をやっていましたが、この頃、確か20日から、中標津のFM局、FMハナが放送を開始しました。若竹辺りはあまり電波が入りませんでしたが、中標津を運転していると聞けるものができてよかったです。開局当時、いろいろな人が話をしていましたが、当時郷土資料館の学芸員としてお話をしていたYさんとは、その後大変親しくなっています。

またその後何年か経ってFMハナのインターネットでの配信があれば、近隣の市町村の皆さんにとって災害情報等で有益なんじゃないかとか言っていたら、多くの人がそのように思っていたみたいで、実現しました。今でも東京で、ほぼ一日一回は、FMハナを聞いています。

当時は、全て中標津のスタジオで制作された番組だったように思いますが、当時は、リクエストがあってもCD等音源に限りがあるので、お応えできないものもあるというアナウンスもあり、開局当時の初々しさが新鮮でした。

調べて見たら、22日は、お昼にヘーゼルクラウスマナーへ行き、帰りに、「湯宿第一」の日帰り湯へ行き、その後、山本牧場へ行っています。おそらく、その後、藤やか、ホテル養老牛の温泉にその日2回目の温泉に行ったように思います。


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# by voyage08 | 2018-08-22 16:35 | Comments(0)

道東を巡った5日間の想い出

今年は、16日は、京都で五山の送り火を見て、17日、18日と高野山へ行ってきました。高野山は北海道ほどではないにしても朝夕は寒いぐらいで、過ごし安かったです。
10年前は、15日から道東の観光ツアーを始めて、15日は、網走刑務所を見て、その夜は、佐呂間湖畔の船長の家という蟹料理で有名な旅館に宿泊しました。娘は、蟹の開け方を体得したようでした。
翌日16日は、朝早くに船長の家を出て、ウトロのゴジラ岩観光の観光船に乗るためにかなりのスピードで走りました。途中、網走の町を通りましたが、夏祭りの準備をしていたようですが、気温が9度しかなく、驚きました。
ウトロからの船になんとか間に合い、海上から、沢山のヒグマを見ることができました。船酔いした人が出て、知床岬の先端まで行かずに戻りました。船上で娘は、ヒグマに目も向けず、ずっと沖合を見つめていたことが印象に残っています。下船後、婦人会の食堂でご飯を食べて、知床五湖へ行きましたが、ヒグマが出たとかで一の湖しか廻れなかったような記憶があります。
さらに、その後、羅臼峠を通って羅臼側へ降りて、熊ノ湯温泉に入り(家族は入らなかったようです。)、マルミというホテルに入りました。
翌17日は、瀬石の湯、相泊温泉と温泉に二つ入り、純の番屋を冷やかして、野付半島へ行き、トドワラの自然道や木道を散策しました。トドワラは、その後の何度かの嵐で枯れ木がほとんどなくなってしまっていますが、当時は、白骨化した木々が沢山あり印象的でした。
そして、中標津へ戻り、開陽台を経て、計根別近くの家に戻ったことが記録されています。
このルートの中では、網走やサロマ湖は、その後一度も行っていませんが、ウトロ、羅臼、野付半島、開陽台は、その後何度も通っています。
翌18日は、日帰りで、釧路湿原をいろいろなところから見たり、釧路の和商市場でラーメンを食べたり、厚岸で牡蛎を食べて、更に、牡蛎を買って帰って、家で食べた記憶があります。
翌19日は、元同居人が女満別へ帰るということで、摩周湖を経由して、硫黄山を見て、川湯で足湯につかって、美幌峠で豚丼か何かを食べて、女満別空港へ行き、そして、帰りは、神の子池、裏摩周展望台を通り、中標津へ戻りました。
今思い出してみても楽しい5日間でした。
このとき、その後道東でいつも行く場所はほぼ行き尽くしています。その後は、この旅の追憶のような感じになってしまっています。


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# by voyage08 | 2018-08-21 10:16 | 道東観光 | Comments(0)

同じ日に小旅行を始める

10年前の8月15日は、午後の便で東京から妻が中標津へ到着して、合流して、4時ぐらいの便で女満別空港に到着する元同居人を拾って、最初に網走監獄を見物し、その後、佐呂間湖畔の船長の家という蟹料理で有名な温泉宿に泊まっています。その後一週間かけて、4人で道東をうろうろしました。

またその日は、計根別の郵便局からアメリカへ郵便物を出したり、丸福というラーメン屋さんで食事したり、飛行場で、山本牧場の山本さんに会ったり、飛行機に乗っていた畑正憲さんを見たりしたようです。

畑正憲さんには、その後3回ほど飛行場でお会いしたことがありますし、一度、ご挨拶したこともあります。

そんな日でしたが、今日は、これから、関西の方へ向かいますので、10年前のことを含め、余裕があったら旅先から書いてみます。

実は、10年前と同じ要件でアメリカに向けて文書を郵送しないといけないことを思い出しました。2年毎なので、ちょうどそういう時期なんだなあ。


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# by voyage08 | 2018-08-15 07:45 | 中標津ライフ | Comments(0)

いろいろな出会い

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10年前の8月13日は、雨模様でしたが、仕事をオフにして、まず、計根別から中標津へ向かう道の右側に当時あった「すしロード」という回転寿司のお店に行ってみました。ここは、ライダーの間では有名なところだったようで、いつも大型バイクが沢山止まっており、その日も、数人待ったような記憶があります。ネタが大きくて安いので有名だったようですが、数年前になくなっていました。

当日は、そこから開陽台へ行き、雄大な牧場を見ながら、ソフトクリームを食べました。娘が、中学の宿題で、動物を何種類か描くというのがあるとかで、帰りに、計根別を過ぎていつも通る牧場で、牛を撮影したように思います。

14日もどんよりと曇っていましたが、当日のブログによれば、午後、養老牛の山本牧場の山本さんにご挨拶に行きました。山本さんとは、その後大変仲良くしていただいていますが、当日は、小さいネコがいて、娘が気に入ったようです。

当日、夜は、滞在していた旧若竹小学校の体育館で、若竹地区の盆踊りだということで、我々も参加させていただきました。我々親子は、地元の人から、ヤキトンや焼き鳥をもらって、地元の方々とお話をして楽しい時間を過ごしました。その際、何かの抽選があり、僕達もいろいろいただきました。賞品の中に薄いツナギの服がありましたが、持ち帰って娘がふざけて着た写真が残っていました。

当日食べたヤキトンは、ミルキーポークという種類のもので大変美味しかったことから、その後、中標津へ行くたびに、大山牧場の販売所へ行って、ミルキーポークを買っています。


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# by voyage08 | 2018-08-14 13:32 | 中標津ライフ | Comments(0)

38ラーメン

10年前の8月12日、13日のブログを見ると、12日は、お昼過ぎまで仕事をして、中標津の町まで買い物等で出かけたこと、そして、13日は、雨でしたが仕事をオフにして開陽台等へいったことが書かれています。

滞在した2008年は、滞在中、天気があまりよくなくて、曇天か、道東で「ジリ」という霧雨模様の天気の日が多かったように思います。滞在先には、洗濯機はありましたが、乾燥機はなかったので、洗濯物を外に干していましたが、気温も20度いくかいかないぐらいで、午後になっても洗濯物が乾かなくて困った記憶があります。
今年の道東の天気もそんな感じですね。

8月12日は、午後、娘と二人で車に乗って、町まででかけて、今もある38ラーメンというラーメン屋さんで遅いランチにしました。娘は、醤油ラーメンで僕が味噌ラーメンだったと思いますが、量が多すぎて食べきれなかったような記憶があります。

この38ラーメンには、その後3回ほど行きました。一度は、冬にビズインというホテルに一人で泊まっていたときに、大雪になってしまい、何をどこで食べようかとうろうろしていたら、ホテルの近くではこの38ラーメンが営業していたので、新雪をかき分けて店までたどり着いて、飛び込みました。娘と初めてきたことのことを思い出して食事したものです。

10年前は、38ラーメンで食べた後、ツタヤでDVDを何枚か借りたように思います。

計根別方面へ戻る途中で、車を駐めて、牧草ロールで作った計根別農協の標語の写真を撮って、更に、計根別農協までいって建物に貼ってあった標語の写真を撮った記憶があります。もうすっかり夕暮れになっていました。

当時は、ガラケーを使っていたのですが、当時の携帯の電源を入れることができておらず、写真を取り出せていません。そのうち、トライしてみます。


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# by voyage08 | 2018-08-13 13:01 | 中標津ライフ | Comments(0)